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健康経営

健康経営は「健康教育」から――「知らなかった」と後悔しないために

保健師が健康診断の結果の見方や食事・運動について説明する企業向け健康教育セミナーのイラスト

産業保健師として保健指導を行う中で、驚かされることがあります。
それは、私たち医療職にとっては当然と思われる健康知識を、ご存じない方が決して少なくないことです。
健康診断の数値が受診勧奨の基準を大きく超えているにもかかわらず、医療機関を受診していない方は少なくありません。理由を伺うと、
「特に症状がないから」
「仕事が忙しく、病院に行く時間がない」
「家族も同じような数値なので、体質だと思っている」
などといった答えが返ってきます。

しかし、これは本人の健康意識だけの問題なのでしょうか。
学生生活においても社会人になった後も、健康診断結果の読み方や、生活習慣病を放置すると何が起こるのかを、体系的に学ぶ機会は多くありません。
毎年健康診断を受けていても、その数値が何を意味するのか分からなければ、医療機関の受診や生活習慣の改善といった行動にはつながりにくいのです。

以下、保健指導の現場で実際によく見られる例をご紹介します。

■ 糖尿病の合併症を知らない

空腹時血糖126mg/dL以上、またはHbA1c6.5%以上は、糖尿病が疑われる目安です。また、空腹時血糖やHbA1cが基準範囲を超えている場合には、将来の糖尿病リスクが高くなることがあり、数値や経過に応じて医療機関での評価が検討されます。

ところが、HbA1cが長年にわたり高い状態にあるにもかかわらず、一度も医療機関を受診していない方に出会うことがあります。
糖尿病は、初期には自覚症状がほとんど現れないことがあります。しかし、高血糖の状態が続くと、次のような合併症を引き起こす可能性があります。
• 糖尿病網膜症:視力が低下し、重症化すると失明に至ることがある
• 糖尿病神経障害:手足の感覚が鈍くなり、傷や感染に気づかず、潰瘍や壊疽、切断につながることがある
• 糖尿病性腎症:腎機能が低下し、進行すると人工透析が必要になることがある

こうした説明をすると、
「糖尿病がそこまで深刻な病気だとは知りませんでした」
と、ショックを受ける方もいらっしゃいます。
以前、上記についてお伝えした方から、後日の保健指導で、次のように言っていただいたことがあります。
「放置したらどうなるかを教えてもらい、初めて病院へ行かなければと思いました。休みを取って受診し、治療を始めることができました。症状がなかったので甘く見ていました。背中を押してくれて、ありがとうございました」
病気の恐ろしさを強調することが目的ではありません。
起こり得ることを正しく知り、必要な受診や生活改善につなげることが重要なのです。

■ 高血圧を放置するリスクを知らない

健診時の血圧が160/100mmHgを超えており、速やかな受診をお勧めしても、「症状がないから」と受診されない方がいらっしゃいます。
自宅安静時血圧も高い状態が続いているため、あらためて受診を促しても、
「薬を処方されたら、一生飲み続けなければならないのでしょう?」
「症状もありませんし」
「うちは高血圧の家系だから仕方がありません」
といった答えが返ってくることがあります。

生活習慣を詳しく確認してみると、次のような生活を続けているケースがあります。
• インスタント食品を頻繁に利用している
• ラーメンをよく食べ、スープまで飲み干している
• 大盛りの食事や間食、夜食、甘い飲み物が習慣になっている
• お酒のお供に、ポテトチップスや干物、塩味のナッツなど、塩分の多い食品を選ぶことが多い
• 在宅ワークが中心で、日常生活の中でほとんど歩いていない
• 定期的な運動習慣がない
• 睡眠時間が平均6時間未満と短い
このような生活習慣が重なることで、塩分やエネルギーの過剰摂取、体重増加、運動不足、睡眠不足などを招き、血圧が上がりやすい状態につながることがあります。

高血圧を放置すると、血管に負担がかかり、動脈硬化が進行します。その結果、脳卒中、心筋梗塞、心不全、腎臓病などのリスクが高まります。
高血圧は、症状の有無だけでは重症度を判断できません。厚生労働省「標準的な健診・保健指導プログラム(令和6年度版)」では、健診における血圧の受診勧奨判定値として、収縮期血圧140mmHg以上または拡張期血圧90mmHg以上が示されています。特に、160mmHg以上または100mmHg以上の場合は、より速やかな受診が勧められます。

また、「降圧薬は一度飲み始めたら、一生やめられないんですよね?」というご質問をよく受けますが、生活習慣の改善や体重減少などにより、医師の判断で薬を減らせる場合もあります。ただし、自己判断で服薬を中止することは危険です。治療については、必ず医師と相談する必要があります。

■ 脂質異常症を放置するリスクを知らない

健康診断結果に記載されているLDLコレステロール、HDLコレステロール、中性脂肪について、
「何が違うのか分からない」
「どれが高いと問題なのか分からない」
という方も多くいらっしゃいます。
LDLコレステロールは、増えすぎると血管壁にたまり、動脈硬化を進める原因になります。一方、HDLコレステロールには、血管内の余分なコレステロールを回収する働きがあります。
中性脂肪は身体を動かすためのエネルギー源ですが、高い状態が続く場合には、食べ過ぎ、糖質やアルコールの過剰摂取、運動不足、肥満などが関係している可能性があります。
脂質異常症を放置すると、動脈硬化が進行し、心筋梗塞や脳梗塞などを発症するリスクが高まります。
一方で、脂質異常症には遺伝的な体質や、甲状腺・腎臓などの病気、服用している薬が関係していることもあります。
「家系だから仕方がない」のではありません。
体質的な要因が疑われるからこそ、医療機関で適切な評価を受ける必要があります。

■ 健康診断結果の見方が分からない

健康診断結果を受け取っても、総合判定だけを確認し、
「E判定ではないから、まだ大丈夫」
と判断している方もいらっしゃいます。

しかし、一つひとつの検査項目には意味があります。
例えば、eGFR(推算糸球体ろ過量)は、腎臓が血液から老廃物などをろ過する能力を推定した数値です。主に血清クレアチニン値、年齢、性別から算出され、低い状態が続く場合には、腎機能の低下が疑われます。
eGFRは、糖尿病や高血圧、腎臓病、年齢などの影響を受けるほか、脱水などによって一時的に低下することもあります。原因の判断には経過や他の検査結果も重要なため、健診結果の判定に応じて医療機関で確認しましょう。

念のため水分摂取量を確認すると、
「昼間はコーヒー、夜はお酒を飲んでいるので、水分は取れています」
「仕事が忙しく、水を飲む時間がありません」
と、1日に500mlにも満たない方もいらっしゃいます。アルコールには利尿作用があり、摂取量や状況によっては脱水につながることを、ご存じない方も少なくありません。また、コーヒーなどのカフェイン飲料も水分摂取にはなりますが、カフェインにも利尿作用があるため、水などのカフェインを含まない飲み物も意識して摂ることが望まれます。
健康維持のためにジョギングを続けていても、運動後に十分な水分を摂っていない方もいらっしゃいました。
水分が不足すると尿量が減り、尿路結石のリスクが高まることがあります。また、脱水が強い場合や長引く場合には、腎機能の検査値に影響することもあります。

■ 遅い夕食が身体に及ぼす影響を知らない

夕食の時間を確認すると、帰宅後の21時以降に食事を取り、食後間もなく就寝している方も多くいらっしゃいます。
「仕事が終わる時間が遅いので、仕方がありません」
という事情も理解できます。
しかし、就寝直前の食事は、夜間の胃酸逆流を起こしやすくするほか、肥満や糖・脂質代謝との関連も報告されています。夕食は就寝の2~3時間ほど前までに済ませ、寝る直前の多量の食事や夜食を避けることが望ましいでしょう。
帰宅時間が遅くなる場合には、夕方に軽食を摂り、帰宅後の食事量を抑える分食を取り入れるなどの工夫も必要です。

■ 「知らなかった」で病気を重症化させないために

ここまでご紹介した事例は、決して特殊なものではありません。
健康に関する知識が十分でないために、必要な受診が遅れたり、本来は改善できた生活習慣が長期間放置されたりするケースを、保健指導の現場で数多く見てきました。
重症化してから、
「もっと早く病院に行けばよかった」
「こんなことになるとは知らなかった」
と後悔しても、失われた健康を完全に取り戻せないことがあります。

知識がなければ、自分の健康状態を正しく判断することも、受診や生活改善の必要性を理解することも困難です。
反対に、病気を放置した場合に何が起こり得るのかを理解できれば、「症状がないから大丈夫」という認識が変わり、受診や生活改善への一歩を踏み出せることがあります。

一方で、受診や生活習慣改善が進まない背景には、業務多忙や受診しづらい職場環境、職場の理解不足などが関係していることもあります。そのため健康教育は、従業員個人に正しい知識を伝えることに加えて、企業が受診や生活改善に取り組みやすい環境を整えることとあわせて進めることが重要です。

■ 従業員の健康問題は、企業の経営課題でもある

生活習慣病が重症化した場合、影響を受けるのは本人だけではありません。
通院や入院による欠勤、長期休職、業務遂行能力の低下、離職などを通じて、企業にも大きな影響が及びます。
出勤していても、体調不良によって本来の能力を発揮できない「プレゼンティーイズム」が続けば、本人も周囲も気づかないまま、生産性が低下している可能性があります。

特にテレワークでは、通勤や職場内での移動が減るため、運動不足や長時間の座位につながりやすくなります。また、上司や同僚との接点が減ることで、心身の変化に周囲が気づきにくくなる場合もあります。
厚生労働省のテレワークガイドラインでも、安全衛生教育、健康相談体制の整備、コミュニケーションの活性化などの重要性が示されています。

■ 長期的に増加してきた医療部門の社会保障給付費

2023年度の社会保障給付費は約135兆4,900億円で、そのうち医療部門は約45兆5,800億円、全体の33.6%を占めています。
2013年度の医療部門の給付費は約35兆3,500億円でした。
つまり、この10年間で約10兆2,000億円、約29%増加したことになります。
もちろん、医療部門の給付費が増加する要因は、生活習慣病だけではありません。高齢化、医療技術の進歩、医薬品や医療機器の高度化など、さまざまな要因が関係しています。
また、企業が健康教育を実施したからといって、直ちに国全体の医療費が減少するわけでもありません。

しかし、糖尿病、高血圧、脂質異常症などについて、発症や重症化を一人でも多く防ぐことができれば、将来の医療費や介護費の伸びを抑える一助になります。
現役世代が減少する中で、社会保障制度をどのように支えていくかは、日本全体の喫緊の課題です。
病気になってから治療するだけではなく、正しい知識を伝え、予防できる病気の発症や重症化を防ぐ取組が必要なのではないでしょうか。

■ 健康経営におけるデータの「見える化」の前に健康教育を

健康経営では、健康診断結果の集計、データ分析、健康課題の見える化などが注目されがちです。
しかし、数値をグラフや表にして示すだけでは、従業員の行動変容にはつながりません。
一人ひとりが、
「この数値は何を意味しているのか」
「放置すると、将来どのようなことが起こり得るのか」
を理解して初めて、健康データが意味を持ちます。
健康経営の出発点は、データを集めることではありません。
従業員が自分の健康状態を理解し、必要な行動を選択できるようにすることです。

■ 企業に求められる継続的な健康教育

健康教育は、一度セミナーを実施して終わりにするのではなく、入社時から継続的に行うことが重要です。
例えば、次のような内容が考えられます。
• 新入社員研修における生活習慣と健康管理の基礎
• 健康診断結果の見方と、医療機関の受診が必要な数値
• 糖尿病、高血圧、脂質異常症の予防と重症化防止
• 食事、運動、睡眠、飲酒、水分摂取に関する実践的な知識
• テレワークにおける運動不足、メンタルヘルス、生活リズムへの対策

こうした取組は、働く人の健康と生活の質を守るだけではありません。
欠勤、休職、離職、プレゼンティーイズムの予防を通じて、企業の生産性向上や人材定着にもつながります。
さらに、多くの企業で健康教育が定着し、生活習慣病の発症や重症化を防ぐことができれば、将来的には医療費や介護費の伸びを抑え、社会保障制度の持続可能性を支えることにもつながるのではないでしょうか。

健康経営は、健康データを集めることからではなく、従業員一人ひとりが、自分の健康を守るための知識を身につけることから始まります。

予防できる病気を、「知らなかった」と後悔することのないよう、企業の人材育成や研修の中に、継続的な健康教育を取り入れてみてはいかがでしょうか。


■ 免責事項
本記事は、一般的な医学情報および健康情報の提供を目的としたものであり、個別の診断や治療方針を示すものではありません。健康診断結果や症状について不安がある場合は、医療機関で医師に相談してください。

執筆:大友 貴子 (社労士・保健師)

医学的内容に関する協力:
株式会社中央総合産業医事務所
Web: https://chuo-sangyoui.com/
医師・産業医 細江 隼


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